みなさま。
こんにちは(^^♪
お元気でしょうか。
もう少しでゴールデンウィーク突入ですね。
私は、暦通りの出勤です。
さて、3月に長野に訪れた時のこと。
長野インターチェンジで降りて、近場で史跡など無いか?調べたところ、
息子が「松代(まつしろ)城」と「川中島の合戦場」に行きたい。と、希望があった為、
先ずは、「松代城跡」に行ってみる事にしました。
松代城は、戦国時代に、「海津城」とも「貝津城」とも呼ばれていたお城です。
戦国時代には、さまざまな戦の拠点となり、武田信玄、織田信長、豊臣秀吉たち戦国武将によって治められてきたそうです。
もとの城名「海津城」の由来通り、お城の下には千曲川が流れていたそうです。
築城は、「1559年頃より武田信玄の命により、山本勘助が開始した。」とされているそうです。
もとは、「海津城」と呼ばれていましたが、森長可が居住した際に「待城(まつしろ)」と改名されたそうです。
武田家の残党に苦しめられ、復讐の機会を待っていた事だと言われているそうです。
その後、松平忠昌により、「松城」に改められ、さらに、1711年、真田氏の居城となって幕命により、現在の「松代」になったそうです。
では、松代城に行ってみましょう。
松代城の前の駐車場は無料で、5台ほど車が停まっていました。
松代城のお堀には、立派な橋(太鼓門前橋)が架かっていて、その先には、門(本丸太鼓門)が見えます。
では、橋を渡ってみましょう。
こちらは、本丸太鼓門です。
立派ですね。
門をくぐって入ってみると...
おお、ここが松代城のあった場所ですね。
歴史を感じます。
中には、海津城址之碑が立っていました。
こちらは、1921年(大正10年)に、松代町長・矢沢頼道により「松代開府300年祭」が行われた際に建立したものだそうです。
下の写真は、お城のあった場所から、眺めた所です。
天気が良くて景色がキレイですね。
そして我々は、橋(東不明門前橋)を渡って駐車場に向かいました。
2004年に復元されたこのお城の櫓門や木橋、石垣、土塁、堀などは、江戸時代の姿に限りなく近い状態で再現されているそうです。
松代城は、桜の名所で知られていますが、今度は桜の咲く季節に来てみたいと思いました。
お城巡り。
楽しいですね。
本日も最後まで読んで頂いて、ありがとうございます。
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