こんにちは。
東日本大震災から7年の月日が経ちますが、
何故か今、ブログにその事を書いています。
今日は、その2回目です。
震災が起った後の、当時の様子を振り返っていると、色々と思い出しましました。
当時、息子が小さかったので、牛乳を買ってあげようとしたのですが何処にもなく、色々なスーパーやコンビニに行きました。
そして、やっと手に入れた牛乳2本をカゴに入れてレジの前の長蛇の列に並んでいると、レジ担当の人に申し訳なさそうに、「お一人様1本までなんです。」と言われました。
知らなかった。
ああ、失敗したな。と、思っていたら、
後ろに並んでいた女性の方から、
「私が買ったことにして、お代を払っていただければ」と言って頂いた事を思い出します。その方には、今も感謝しています。
そういえば、当時、電車も途中の駅からしか動いていなくて、バスも超満員で乗れなかったので、そのまま駅まで歩いて行くと、電車に乗るの人の列が、駅から約500m先まで繋がっていました。
電車に乗るまでに1時間待たされ、
しかも、動いている電車は全て各駅停車。
普段は、昼間でも電車の車内は蛍光灯が点いていますが、震災直後は、電車の中の蛍光灯は消え、暗い電車での移動となり、ただでさへ震災後の暗い気持ちの中、更に暗い気持ちへとなっていくのでした。
電車に乗っているときも余震があり、東京に向かう満員電車の中は、携帯から流れる緊急地震速報の警告音で更に緊迫し、電車が急停車するのでした。
それによって、電車が遅れ、遅刻する事もありました。
でも、電車の中は、ため息をつく人はいても、騒ぐ人は誰もいなかったのが、凄い事だと思いました。(ここら辺は、前回と同じことを書いていますね。)
帰りの電車のお台場からの、ゆりかもめは、余震がある度に停まり、新橋まで着くとほっとして、満員電車の東海道線に乗り換え、横浜に向かうのですが、横浜に着くと相鉄線に乗る人の列が、東口のポルタの上にまでおよび、相鉄線に乗るのに2時間もかかった事もあります。
あれから、職場が変わる度に、震災が起きた際に、家まで歩いて帰る方法を考えるようになりました。
これから、どうすれば良いのか?考えました。
・防災グッズを購入しましょう。
・家族の連絡方法を考えましょう。
・連絡が取れないときの避難場所を決めましょう。
・帰宅するのに体力をつけるべく、土、日のどちらかは、長距離を歩きましょう。
まずは、出来ることから始めようと思います。
「鎮魂」の掛け声と共に花火が打ちあがりました。
本日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございます。