こんにちは😃
今日は日帰りで登呂遺跡を見にやってきました。
登呂遺跡、小6の時に遠足できましまが、全然覚えていません。
車に乗り、横浜町田インターから2時間半で登呂遺跡に着きました。
昭和18年に軍事工場を作るために掘ったところ、弥生時代後期の集落と水田跡がてきたそうです。
これが登呂遺跡です。
住居や神殿、高床式倉庫が復元されています。
これは、集落に1つあった神殿です。
高床式倉庫は、こちらです。
当時、扉は無く、上部の木を開けて、中に人が入り、稲を下の人から倉庫の中にいる上の人に渡して入れていたそうです。
また、倉庫より出すときは、その逆をしていたそうです。
学校で習って懐かしい、
高床式倉庫の柱の途中には、ねずみ返しと言う板が再現されていました。
この板によりネズミの進入を防いでいたそうです。
竪穴式住居の中は、こんな感じです。
昼間でも暗いですね。
玄関にも扉は無かったそうです。
真ん中に囲炉裏があります。
写真でも分かりますが、昨日の雨で、住居の中に水が入りぬかるんでいました。
昔の人は、苦労したんじゃないでしょうか。
住居は、盛り土をした上に建てられていますが、この時代の住居には扉が無いため、強い雨風だと中に入ってきたものと考えられます。
周りの田んぼには、まだ、水が入っていませんが、田植えが行われたら、また、違う景色になるんでしょうね。
なぜ、この住居が何年もの間、腐らずに残って来たのかと言うと、土壌が酸性だった為だと言われています。木の遺跡と言われる通り、本来は、弥生時代後期と言うこともあり、鉄の道具も出てくるはずですが、鉄は錆びて溶けてしまい、木だけが残ったようです。
竪穴式住居前では、火起こし体験と、焚き火で、ここの水田で採れた、赤米(あかまい)と、緑米(みどりまい)を炊いて食べれるイベントをしていました。
体験中は、係のおじさん達から、沢山の話を聞くことができました。
午前は空いていましたが、午後になると混んできました。
博物館近くには、火起こしをする像もありました。
登呂遺跡の周りは、普通の住宅が立ち並ぶ中にあります。
後ろのマンションが何とも言えないですね。
土呂博物館にも寄り、この遺跡について学びました。
弥生時代の生活に息子も興味を持ち、楽しんでいました。
体験談は、また、後日、報告致します。
本日も、最後まで読んで頂いてありがとうございます😊